日記でスイス旅行・スーステン峠−ゴッタルド峠

スーステン峠−ゴッタルド峠
スイスの国土の7割以上はアルプス。この国はアルプスの中にある国だ。人の住めるところは、元氷河だった谷がほとんど。だから、どこに行っても、こんな景色が続く。
スイスアルプスの峠をドライブすると、1日かかっても尚延々と山中を走り続ける。朝から晩まで走って700キロ、それでも車は山の中だ。この国の山の深さは計り知れない。まるで永遠の様に続く山並みには畏怖の念を感じる。神々の住む神聖な場所の様に思えてくる。
今回は、そんなスイスアルプス・峠道を紹介していく。まず第一弾は、スーステン峠とゴッタルド峠。
ベルン州ブリエンツからウーリ州ヴァッセンを結ぶ峠がスーステン峠。この峠は比較的新しい。第二次大戦中の建設だという。ヴァッセンはゴッタルド峠に通じる街道の町。ここからアンデルマットを過ぎて峠道をひたすら登るとゴッタルド峠に達し、イタリア語圏のティチーノ州に入る。ティチーノはイタリアへの玄関口だ。
ブリエンツはブリエンツ湖の東端に位置し、交通の要衝となっている。ここをほぼ起点として3つの峠が分かれている。一つはブリューニグ峠でルツェルンへ通じる。もう一つはグリムゼル峠でヴァリスへ通じる。そしてスーステン峠、ゴッタルド峠を擁するウーリ州に通じる。また湖を伝うとインターラーケンを経てベルンに通じる。
写真はブリエンツを過ぎインナーキルヒェンから谷筋を望んだところ。この谷筋はグリムゼル峠に向うもので、スーステンへは眼下に見える集落で左に折れ、ガドメン谷に入っていく。

ガドメン谷
ベルナーアルプスの東端に位置する谷で、谷筋の前方を塞いでいる白い山々はベルナーアルプス。

スーステン峠を下ったところの風景
峠に近くなるに連れて雪景色に変わって行った。谷の下はまだ夏。しかし谷の上はもう冬だ。
この写真は9月5日撮影のもの。前日に雪が降ったため、もう真冬か?と思わせる雪景色に遭遇した。このウーリ州側の谷はミーエン谷という。

スーステンの3000m級の連山
フレッキシュトック3417mを中心とした連山で、その後ろにスーステン峠の壁、スーステンホルン3504mが控える。この山々の向こうがベルン州。このウーリ州とベルン州を分けるアルプスは3500mから3600mの山々からなる。

ヴァッセン
峠の終着点、ヴァッセン。ヴァッセンにはひときわ目立つ教会がある。町はこじんまりとした、昔ながらのたたずまいを残している。この真っ赤な教会はいつもはこんな風ではない。赤い幕で真っ赤にしている。何かのお祭りがあり、そのために赤く装飾されている。

ゴッタルドへの道
鉄道でヴァッセンを通ると、この周辺を2回ループしながら標高をかせいで行く。この町の下から、やがて見下ろす様に通り過ぎていく。ああ、面白い教会(普段は綺麗な教会)だなぁ、と思って暫くするとまた同じ教会が目に入るので、どうしたのかと驚いたりする。そしてゴッタルドに通じる。電車は次の町、ゲシェネンで長いゴッタルドトンネルに入る。

ヴァッセンの町とゲシェネン
ゲシェネンまではさほどの登りではないが、その先に難所のゲシェネン渓谷が控えている。現在鉄道、高速道路ともトンネルを通過するので問題はないが、このゲシェネン−アンデルマットの区間がゴッタルド峠の最大の難所だった。アルプスの主要な峠はローマ時代からあるのに、ゴッタルド峠が開通したのは時代をずっと下り13世紀。それはゲシェネン渓谷の街道整備が困難だったからだ。
ウーリ州は当時このゲシェネン渓谷の通行料で潤った。とはいえ、その街道整備と補修は相当な負担でもあったらしい。この権益に目をつけたのが、ヨーロッパの名門王家、ハプスブルグ家。ここを支配しようと圧力をかけてきた。これに対抗し、当時農民の自治が認められていた、ウーリ、シュビーツ、ウンターヴァルテンの3州が盟約を結ぶ。その盟約をもってスイス建国とされている。スイスはヨーロッパ唯一の農民自治国家として誕生した。これがスイスは「百姓国家」とも揶揄される所以だ。(写真もそれを良く表現しているような・・・)
スイス人は大変な倹約家としても名を馳せている。それはこの様な歴史的背景も影響しているだろう。とにかく、スーツをきちっと着こなして町を闊歩する紳士が少ない。ホワイトカラーの人々もブルーカラーのいでたちで平気で仕事をしている。ここらへんが貴族支配の歴史を持たないスイスの特色かも知れない。
バーゼルの有名な製薬会社(世界有数の規模)を所有する大富豪の一家が、列車の1等車に乗るのは無駄として、2等車しか乗らないという話しも有名。スイス人の服装から、誰が金持ちであるかもわかりずらい。質素な服を着ている老婆が実はすごい金持ちで、巨額の寄付などを行って新聞を騒がせたりする。

アイローロ
これはゴッタルド峠の反対側の町、ティチーノ州アイローロ。峠を越えると、イタリア語圏だ。何故急にヴァッセンからアイローロに至ったかというと、ゴッタルドトンネルを越えたからだ。え?ゴッタルド峠は、というと、アイローロ側から登ったのだ。峠を越えて、アンデルマットから今度はフルカ峠に向う予定だった。

ティチーノ谷
ティチーノ谷とティチーノ川。この川の名前が州名となった。ティチーノ州を北から南に縦断し、やがてイタリアに入って、アドリア海に至る。

ゴッタルド峠の浮かぶオートバーン
自動車専用道路をドイツ語で「オートバーン」というので、オートバーンはドイツの、あのヒトラーが建設した速度無制限の高速道路の固有名詞ではない。スイスはしかもしっかり速度制限がある。なお、この区間は時速80キロまで。というか、それ以上のスピードでこのカーブを曲がったら、空中ダイブは必死とみた。

ゴッタルド峠の谷と思いきや
峠を登っていくうちに見えた美しい谷、ティチーノ川源流部。写真右方向が源流部になる。オートバーンもそちらの方向に行くのかと思ったら、この谷を離れて、ひたすら左斜面を登り始める。ティチーノ川源流は、ゴッタルド峠西側に位置するヌフェネン峠2478mにある。
正面の山塊はバソディーノ3273mを中心とする連山で、その山の向こうはイタリア、アンティゴーリオ谷。その谷の中心にドモドッソラという町があるのだが、こちら側からは何故だかそこに通じる道がなく、ドモドッソラに行くには、ティチーノ南部からチェントヴァッレという谷筋を通っていくしかない。

峠の馬車
昔ながらの峠の馬車が走っていた。当然観光馬車。峠道の旧道は石畳の道として整備されている。

ゴッタルド峠2108m
峠自体はそんなに標高があるわけではなく、ほんの2108mだ。そのくらいの標高の峠は日本にもある。夏は快適な峠越えが出来る。しかし、問題は冬。何せ稚内より北にあるスイス。9月になると山はもう吹雪く。その昔、冬場の悪天候時は峠道でも遭難したという。現在この峠に登れるのは通常6月から10月までの年間5ヶ月間のみ。