のり@ベルン「私の移住記」 2

内容の抜粋です。ご参考にどうぞ

・子供の血友病

 病院から戻ったその日はかなり打ちひしがれていた。これから先どうなるのか、どうしていいのかなど、さっぱりわからなかった。それにまだ二人とも働いてもいなかった。私はこの現実から逃げたかった。信じられない現実。それを受け入れなければいけない。受け入れようとすればするほど、今度は自分が無力に思えて苛立った。こうなった事、それを防げなかったこと、子供に何もしてあげられない事、そしてこれからどうしていいか何もわからない事、そんな思いがいつまでも頭の中を空回りした。考えれば考えるほど苛立った。それは解決不能で、太平洋のど真ん中に突き落とされた様な孤独感と、そして絶望感が感情を覆った。

・注意欠陥障害

 私は予想外のこの説明に驚いたよりは、またかと思った。よくもまぁ人の子供をつかまえて色々と病名を与えてくれるものだ、とあきれ返った。しかし、血友病で免疫が出来ていたせいか、特に動揺もなかった。毒喰らえば皿まで、といった感じで、子供の病気?ど〜んとこ〜い、ってな気分だった。

・スイスの障害者福祉を通して

 スイスという国は物質的にも豊かな国であるけれど、精神面も豊かな国じゃないかと思えて来る。それは人々が色々な障害を認め合い、そして支え合って、みんなが幸せに暮らせる社会を作ろうと努力している様に感じられるからだ。スイス人も金儲けがうまいと思うけれど、そうして自分の得た利益をきちっと社会の豊かさのために還元している。

・スイスで開業

 なんとか開業までの見通しが立って来た。いくつかの関門が残っているが、開業と言う目標までの道順は示されている。あとはそれに従って歩んでいくのみだ。いよいよ行動に移すときが来た。失敗するかも知れないが、やってみなければ道も開けない。先に歩まずにいれば、チャンスも訪れて来ないだろう。運動選手だって、スタートラインに立って走り出さなければ、記録すら残らない。

・とんだスイスの初スキー

 
いったい何が起きたか全然わからなかった。とにかく息子に近寄り顔を見た。すると、青白い顔をして、ぷるぷると震えている。

 一瞬、周囲の音が消え、周りも見えなくなった。私は震えている息子の顔に釘付けとなり、子供を見ているだけが精一杯な状況となった。何故?何が?頭が空白になっていく。そして息子に済まない気持ちで一杯になった。私がそばにいてやれなかったことをものすごく済まなく思った。青白くなって震えている息子、これほど打ちのめされるものはない。もう何をしていいかわからない。とにかく子供のそばにいてやることしか出来なかった。

・事故後の請求

 スキー場で怪我をしたときに助けに来てくれるあの救急チーム。これは今までスキー場のサービスの一環だと思っていた。多分日本ではそうだと思う。ところがスイスではこれは有料だったのだ。スキー場から請求書がやってきたのは驚きだった。しかもだ、彼らが子供にかけた毛布1枚についてまで、千円かなにがしかのレンタル代がついていた。毛布1枚までにお金を取ろうというこの根性、全く驚いた。私は最初、スキー場からお見舞いの手紙か何かが届いたのかと思ったのだが、これは大変甘い考えだった。怪我をするのはお客の勝手、救護はれっきとしたスキー場のビジネスなのだ。スイスのスキー場で救護を呼んだら、かけられる毛布までお金がかかると覚悟しなければならない。

・ヘリコプター救助システム「レーガ」

 時々ラジオなどで、このレーガの活躍ぶりが紹介される。例えば、アイガーの絶壁で悪天候に見舞われ身動きとれなくなった人を映画クリフハンガーばりに命がけのウルトラレスキューを行って助けたなど。因みにこのアイガーの絶壁に挑んだ人は、携帯電話で救援を呼んだそうだ。4000メートル級の名峰を連ねる、世界に名高いスイスアルプスでは、携帯電話が通じる・・・・。安全といえば安全な話だが、俗界を忘れに集まる山男達にはちょっと興ざめな事実かも知れない。

・手打ち蕎麦とその壁

 製麺業の方はスイスで誰も手をつけていないだけあって、色々と障害が多かった。まずは原料の確保から始まった。人に教えてもらったりして、何社か蕎麦の実を販売してくれる所がわかった。スイスで販売されている蕎麦粉は色々試したけれど、蕎麦にするには少し問題があった。また、自分の望むような蕎麦粉を製粉してくれる所も見あたらなかった。

・手打ちうどんと有機栽培原料の壁

 ところが、これが大きな問題を生んだ。こちらの有機栽培ものはかなり厳しく管理されている。だから変色や劣化も早い。それだけ消費者にとっては安全、本物というわけなんだけれど、有機栽培ものを主原料としてうどんを打つと、三日で変色を始める。自分の店で使うならまだしも、それを小売りして、お客さんが実際に調理するまでの時間が三日以内ではあまりにも短すぎる。 また、レストランにサンプルを渡して、すぐ色が黒くなっていくと言われ扱ってもらえなかった事がある。

・手打ちラーメンとその壁

 ラーメンの開発にも難関があった。まず、カンスイはスイスで入手出来ない。これはラウゲンというカンスイに似たもので代用が出来た。しかし問題は私の使っている有機小麦にあった。日本から持って行ったカンスイでもそうだったのだけれど、この小麦にカンスイ溶液を合わせると、生地の色が黄色になるどころか緑色になってしまう。どんなにカンスイを薄めてもだめで、薄めすぎればラーメンにならない。代わりにコープで売られている普通の小麦粉を使うときちっと黄色になっていく。有機小麦は本当にやっかいな代物だ。

・テレビに出た ぽかぽか地球家族の収録

 なるほどと思った。もう番組の内容は彼の頭の中にあるのだ。シナリオは大方出来ていて、私たちはそのシナリオに沿って実演すればいい。実際普段やっていることなので、確かにやらせではない。しかし、自然な立ち振る舞いが物語になって行く、という訳でもない。演技までは行かないけれど、それに近い仕事なんだと思った。

 撮影が終わる頃、ディレクターがお礼に私たち家族を食事に招待したいとの事だったので、近くのレストランに行く事にした。色々とテレビの仕事の事とか、カメラマンの仕事の事とか聞く事が出来て楽しかった。外国の仕事となると、何日も家を空けなくてはならず、大変だと思った。色々とストレスもあって、出社拒否症になったとか、本当に大変そうだ。カメラマンの人は、撮影期間中、携帯で写真を撮っては、それを日本の奥様に送っていた。彼こそ、「ぽかぽか地球家族」だと思った。

・テレビに出た、ぽかぽか地球家族の放映

 アルプホルンの優雅な音楽が流れると、世界遺産にも登録されているベルンの町が映された。いよいよ始まった。すると、いきなり私が喋っている。

「収入? 4分の1か5分の1・・・」

 
きゃーっ、いきなり激減した収入の告白ですかぁ、思わずのけぞってしまった。それは本当の事なんだけど、番組にはこの恥ずかしい所が売りの様だ。スイスでいきなり、蕎麦職人。収入は日本の4分の1か5分の1。それにもめげず家族で助け合いながらがんばる一家。番組はこのストーリーで私たち家族を紹介した。なるほどと思った。自分の事ながら、訴えるものを感じる。流石、全国放送、テレビ朝日だ。

・ドイツで蕎麦屋開業のお手伝い

 このヌードルレストランはヴォルフスブルグというハノーバーから東に80キロくらい走った町に作られる計画でいる。日本ではあまり知られていないけれど、ヨーロッパではフォルクスワーゲンの工場がある町として結構知られている。フォルクスワーゲン社はヒトラー時代、国策自動車会社だったらしい。そのヒトラーの指示によって、ヴォルフスブルグにフォルクスワーゲン社がおかれる事になり、町が作られた。ヴォルフスブルグはフォルクスワーゲンの町だ。

・ドイツのアウトバーン、時速200キロ

 ここまでスピードを出すとハンドルを支え、直進するだけでめいいっぱい。カーブに入ると無意識にアクセルを緩めている。やっぱり恐いのだ。それでもどのくらい出るか試してみたけれど、時速210キロ以上は行かなかった。時速210キロで走っていても、速い車は後ろからずんずん近づいて来て、車線をあけろとパッシングしてくる。時速250キロくらいで平然と走っているのだ。

・ドイツでの手打ち蕎麦、手打ちうどんイベント

 一番印象に残ったのが、ハノーバーの市長がやってきて、大変感動されて帰って行った事だった。彼は英語を話すので会話出来る機会があったのだけれど、日本に何十回も訪れていて、その都度蕎麦とか食べているけれど、今回食べた蕎麦が一番美味しい。大変驚いたし、感動したと言った。そこにいた十数人の人から拍手までもらった。

・引っ越しでびっくり

 引っ越しは疲れる。日本のように至れり尽くせりの引っ越し業者はない。本や衣類、食器類などは全部自分で箱詰めしなくてはならない。しかもその箱も自分で用意しなくてはならないし、引っ越し業者から箱を買うと1個400円くらい取られる。サービスが悪い上に高い。ほんの1キロ程の引っ越しなのに、30万近くも取られた。

・スイスの歴史

 スイス人も意外に自分の国の歴史を知らない事が多い。アヴァンシュというローマ遺跡の残る町を訪れた時、町のツーリストオフィスでアヴァンシュの近くにあるムルテンのパンフレットをもらった。そこで、ムルテンはブルゴーニュ公国と戦いましたね、と聞くと、オフィスの人はぽかんと口を開けて、「え、あったんですか?」と逆に聞き返された。多分学校では自国の歴史として教えられたのだろうけれど、忘れている。一般的な歴史授業の問題点というか、単なる事象の羅列が多いものだから、歴史がその後自分の中に価値のあるものとして残らない。

・スイス人とは

 スイスは日本人には理解が難しい国かも知れない。スイス人にとってスイスとは一つのまとまった存在ではなく、様々な利害集団の総体にしか過ぎない。だから、連邦政府は自分たちの利益を保障する場であって、連邦政府の存続それ自体に優先権はない。だとしたら国がばらばらにならないかと懸念されるのだが、封建制であった時代から、自由民の自治を標榜し、それによって国土を保全してきたスイスは、この体制なくして自分たちの生活も成り立たないことを骨身にしみて知っている。それ故に、内側ではばらばらなのにも関わらず、外側に対してはスイスとして強くまとまるのだ。

・ホームドクターの現実

 ホームドクターに行こうとして、風邪気味だからなどと理由を言うと、じゃぁ明日来て下さいとか平気でいわれる。「何で?調子が悪いんですよ。」と言っても、「予約で埋まっています。それに風邪くらいだったら我慢できるでしょう。」などと冷たくあしらわれてしまう。が、我慢出来るでしょう・・・って、って、医者の言う事なんだろうか・・・。

 最初は、この国で私は医者に殺されるかも知れないと思った。

・不況で工場閉鎖、一からの出直し

 工場を空っぽにして、そして扉を開いて外に出る。もうここに戻ることはない。きっと、振り返っちゃいけないんだと思った。私に残された未来は、外に出て行くことだけだ。そして外には希望が待っている。「天は自ら助くる者を助く」サミュエル著「自助論」の中の一節。私の人生の指針の一つ。この言葉を噛みしめた。


日本円でご購入


スイスフランでご購入




ご不明な点、ご質問等、
また、送金はしたが、ダウンロードの方法がわからなかった方のお問い合わせも
(その際は、送金の際に送られた取引IDとダウンロード出来なかった旨を明記して)

こちらのメールフォームにお願い致します


「私の移住記2」の項目 

(35)スイスの物価、保険、医療

(36)子供の入院、血友病!

(37)血友病について

(38)血友病を受け入れる

(39)血友病の対応、スイス、日本

(40)さらに注意欠陥障害

(41)スイスでの独立の模索

(42)独立の準備

(43)開業申請と一時帰国

(44)年末年始の過ごし方

(45)魔の初スキー

(46)ヘリコプター救助、救急車搬送

(47)入院、警察の事情聴取

(48)請求が次々とやってくる

(49)裁判となる

(50)後味の悪い裁判の勝利

(51)手打ち蕎麦とその壁

(52)うどんの商品化努力

(53)ラーメンの商品化努力

(54)日本のテレビ取材が来た

(55)ぽかぽか地球家族の収録

(56)ぽかぽか地球家族の放映と実際

(57)インターラーケンでの失敗

(58)ベルンでのレストラン開店計画頓挫、後始末

(59)ドイツの蕎麦レストラン開店計画

(60)スイス人と蕎麦屋の厨房計画の打合せ

(61)ドイツ、ヴォルフスブルグに飛ぶ

(62)840キロのアウトバーン納品の旅

(63)ドイツでの蕎麦打ち、うどん打ち

(64)休日に歩くハノーバー、ベルリン、ポツダム

(65)魔女の地を行く、ハルツ

(66)蕎麦打ちの後に、ドイツワインを巡る旅

(67)ラインガウ、ドイツ一のワイン名醸地

(68)ライン古城地区、ローレライ、ミッテルライン

(69)ラインヘッセン、聖母の乳、ラインワインの町マインツ

(70)アルザス、多文化共生の象徴的地域

(71)アルバ、幻の白トリュフ祭り、あこがれのピエモンテワイン

(72)スイスの刑務所、なかなか快適らしい

(73)引っ越しでびっくり

(74)アルバイトを手始めに、なんでも屋になりつつある

(75)ネット・ワインショップを立ち上げる

(76)ベルンとサッカーとオランダ人

(77)もつ亭志門が日本で開店、一時帰国

(78)スイスの歴史 序

(79)スイスの歴史1

(80)スイスの歴史2

(81)スイスの歴史3

(82)スイスの歴史4

(83)スイスの歴史5

(84)スイスの歴史6

(85)スイスの医療とホームドクター

(86)ドイツにアメリカ産の新蕎麦を仕入れに行く、何とも国際的な仕入れだ

(87)不況で工場閉鎖、また一歩からの出発


もどる