ブルゴーニュ、ジュラのワイン巡り
紀行文

7月29日

 いよいよブルゴーニュ・ワイナリー巡りの旅に出発。今回の旅は同行者を伴った。神保君(仮称)と言って、ワイン好き。今年からワインの勉強を始めたとの事。ワインのいい勉強になるけど、どう?と持ちかけたら乗って来た。普通は気兼ねない一人旅の方を選ぶのだけれども、ワイン初心者だらこういう旅も勉強になるだろうと親心が働く。

 朝8時半、ベルンを出発。ニューシャテルを経由してジュラに向かう。ニューシャテルを過ぎるとトラヴェールの谷に入る。ここは最近解禁になったリキュール、アブサンの発祥の地だ。このアブサン、主成分のニガヨモギの為に禁止されたのだが、日本でニガヨモギは漢方薬だ。因みに、ベルモットにもニガヨモギが使われる。適量は健康にいいのだ。

 ジュラのワイン産地は、ヴァン・ジョーヌというワインがお目当て、これは大きな古樽に何年も漬け込んで熟成させた黄色いワイン。古樽で熟成する間に、ゆっくりとだが上面発酵が進む。これはシェリーに共通した発酵で、当然ワインにシェリー臭が加わる。しかし普通の白ワインと異なり、熟成すればするほど深みが増してくる。長期熟成タイプのワインになるのだ。

 これはスイスのヴァリス州グレメンツにある氷河ワインと製法が同じ。ただし、氷河ワインの方は、ワイン自体は購入したもので、これを古樽に貯蔵することでシェリー化、いや熟成させている。19世紀から貯蔵しているという樽から出るこの氷河ワインは、まさに最高のヴィンテージシェリーの様だ。

 ジュラのアルボワでは7年もののヴァン・ジョーヌを試飲させてもらったけれど、まだ若いといった感じだった。また、ここの特産の藁干しワイン、ヴァン・ド・パイユも試飲した。コクのある甘口ワインだ。因みにスイスのヴァリスでも同じ様なものを造っている。ヴァリスはジュラとつながりがある様だ。

 アルボワを過ぎ、フランスの高速道路をひたすら走り、シャブリに向かう。シャブリはブルゴーニュ・ワインの北端に位置し、きりりとした素晴らしい白ワインを造っている。ブルゴーニュ・ワインの中心地ボーヌから北西におよそ150キロ程離れた所にある。
 シャブリでは特級の7つの畑と、その周囲の1級畑を巡り、シャブリの宣伝塔であるワイン業者ドメーヌ・ミシェル・ラロシュでシャブリのグランクリュ、レ・クロを試飲させてもらった。流石にレ・クロである。芳醇で秀逸なワインだ。

 ただ、ラロシュはその卓越した醸造法によって、素晴らしいマロ・ラクティック臭を感じさせるのだが、そのためかシャブリ特有の固さが和らいでいる。どちらかというと、ムルソーの一級ものをイメージさせるものがある。

 とっても悔やまれるのが、今やシャブリのトップを走るドメーヌ・ウィリアム・フェーブルをそれと知らず通り過ぎてしまったことだ。値段的にもラロシュより安く、お買い得だったのに、残念だ。またシャブリを訪れねばなるまい。

 シャブリではホテルがいっぱいで泊まれなかったので、オーセールで泊まることになった。ここはシャブリの積み出しで栄えた町なんだそうだが、今では面影がない。ところが、素晴らしい教会や修道院の建物があって、まるで中世の都市の様な偉容を誇っている。ここに来れたのは逆にラッキーだった。

訪問ワイナリー・ワインショップ・データ

Arbois:
Jean Louis Tissot
Ceveau de Vauxelles F-39600 Montigny-les-Arsures
Chablis:
Domaine William Fevre
12 avenue d'Oberwesel, 89800 Chablis
Domaine Michel Laroche
10, rue Auxerrois, 89800 Chablis

7月30日

 因みに私の誕生日だ。この誕生日をブルゴーニュのワイン巡りで過ごせたのは幸せの一言。この日はブルゴーニュの神髄、コート・ドールの北半分、コート・ド・ニュイを巡る。その前に途中にあるスミュール・アン・オーソワの町に立ち寄った。ここはまさに中世の町という感じで、ほれぼれする美しさだった。町中も何やら古めかしく、中世に戻った気分になる。

 ブルゴーニュの丘陵地帯は大変美しい。広々として、なだらかで、とても優しい。その優しさが人々を包んでいるという感じだ。この丘陵地帯の端にコート・ドールは広がる。そこを過ぎて東側にはブレスの平原が横たわり、ソーヌ川が悠々と流れている。この川を過ぎるとやがてユラ山脈に至り、そこを越えれば国境を越えてスイスに入る。

 コート・ド・ニュイは赤ワインの特級畑がひしめく、まさにワイン好き垂涎の地だ。シャンベルタン、クロ・ド・ヴジョー、グラン・エシェゾー、ロマネ・コンティを初めとする5つのヴォーヌ・ロマネの特級畑などがある。これらを巡るのはまさに夢の旅。

 コート・ドールは修道院によってその礎が築かれたそうだ。修道院の財政を支えるため、貴族達が次々とブドウ畑用の土地を寄進したことによって始まる。その典型がクロ・ド・ヴジョーだ。

 クロ・ド・ヴジョーはシトー派という修道僧達によって築かれた。彼らは苦行こそキリスト者の生きる道と心得る人たちだった。彼らの重労働のおかげで、今のコート・ドールは存在しているという。因みにドイツはラインガウ地域へも影響を及ぼした。ラインガウの3大醸造所、クロスター・エーベルバッハはブルゴーニュのシトー派の流れを汲む修道院だ。

 ところが、ブドウ畑が発展するに連れ、コート・ドールの修道院も腐敗していったようだ。やがて権勢を誇った修道院もフランス革命の折、糾弾の的となり、修道院の所有していたブドウ畑は没収され、農民に売り渡された。これがコート・ドールの細分化された畑集団を生むきっかけとなった。

 しかしこの修道院、そして慈善と苦行の美徳は今も受け継がれている。例えば慈善施療院オテル・デューの所有する畑から作られるオスピス・ド・ボーヌは今もコート・ドールの象徴的存在だ。

 ワイナリー巡りはまずコート・ド・ニュイの1級畑が始まるフィクサン村から始めた。この北にマルサネがあるが、そこに1級畑はなく主要な産地からは外れている。しかし、最近マルサネでも楽しめるものが造られ、じわじわと人気を呼んでいる。フィクサンのワインの性格はジュヴレ・シャンベルタンに似ている。どちらかというと硬い質だ。

 フィクサン村の南隣にブロション村があるが、ここはあまり知られていない。村名ではなくコート・ド・ニュイ・ヴィラージュとして売られるそうだ。

 ブロションを飛び越え、ジュヴレ・シャンベルタン村に入る。この村から特級畑が始まる。ジュヴレ・シャンベルタンの特級畑は、集落の南側にある。何といってもシャンベルタン畑のものが有名、それとクロ・ド・ベーズが並ぶ、これらの畑の両隣にあるラトリシエール、マジなどが次に続き、斜面の下側に位置するシャペル、グリヨット、シャルムの畑が続く。

 ジュヴレ・シャンベルタン村の南隣がモレ・サン・ドニ村。ここの特級畑は集落の上に翼を広げる様に広がっている。右翼がクロ・ド・ラ・ロッシュ、比較的硬めの質で、左翼がクロ・ド・タール、こちらは柔らかめ。自分の主義によってワインが選べそうだ。

 モレ・サン・ドニ村を過ぎるとシャンボール・ミュジニイ村に入る。この村の特級畑で極上なものは、ボンヌ・マールとレ・ミュジニイ。優雅で芳醇、時に女性的なワインと評されている。

 レ・ミュジニイに隣り合わせる様にあるのが、ヴジョー村のクロ・ド・ヴジョーだ。何せ畑のど真ん中にあるクロ・ド・ヴジョー城がひときわ目立つので、一発でわかる。ブドウ畑に浮かぶ小島の様だ。このクロ・ド・ヴジョーを買うときはいい醸造元あるいは酒商を選ぶ必要がある。かなりの業者が畑の一部を所有しており、時には期待外れもあるそうだ。

 ヴジョー村を過ぎると、フラジェ・エシェゾー村の飛び地に入る。フラジェ・エシェゾー村の集落は飛び地を離れた平坦な所にあるのだが、特級畑と1級畑だけが飛び地になっている。金のなる木は手放せない。何といっても、グラン・エシェゾー。そしてそれを囲むエシェゾーの特級畑が極上。当然高嶺の花。ただし、フラジェ・エシェゾーという名前しかないワインにはその面影もない。

 ヴジョー村の南隣が世界の注目の的、ヴォーヌ・ロマネ村だ。何といってもロマネ・コンティがある。この年代物が1本100万以上もの値段になるというのだから目が点になる。ロマネ・コンティの上にラ・ロマネ、右隣にリシュブール、下にロマネ・サンヴィヴァンの特級畑が鎮座している。何故か同じく至高のワインとなる特級畑ラ・ターシュだけが、ヴォーヌ・ロマネの集落近くにちょこねんとある。ラ・ターシュは時にロマネ・コンティに並ぶというが、確かにロマネ・コンティに続く斜面にあって、似たような部位を持っているので説得力がある。また、リシュブールはお隣さんなので、これも注目の的だ。

 ヴォーヌ・ロマネ村でコート・ド・ニュイの特級畑が終わる。ここを過ぎさらに南下するとニュイ・サンジョルジュの町に入っていく。ここには1級畑だけがある。次の特級畑はコート・ド・ボーヌのコルトンの丘まで現れない。

 コート・ド・ニュイの中心地である町、ニュイ・サンジョルジュは落ち着いたいい町。ここにもワイン業者がひしめいている。そこを過ぎるとプレモー村の1級畑を経て、いよいよコート・ドール南半分のコート・ド・ボーヌ地区に入る。

 まず始めにやってくるのがラドワ村とコルトンの丘。1級畑とコルトンの特級畑の1部がある。そしてアロース・コルトン村に入る。ここはコート・ドール最大の特級畑を擁する地区だ。村の上に広がるコルトンの丘に偉大な畑がひしめく。コルトンは赤ワインの絶品で、この名を冠せる12の特級畑がある。コルトン・シャルルマーニュは白ワインの絶品で、この畑の一部はペルナン・ヴェルジュレス村に入り込んでいる。コルトンの丘はまさに黄金の丘だ。いや黄金を生む丘だ。因みに、コルトンの丘から見渡す風景も絶景だ。

 シャルルマーニュ畑の向かいに位置し、ペルナン・ヴェルジュレスから始まる丘は良質の赤ワインを生み、サヴィニイ村へと続いている。この辺りはずうっと1級畑が続いている。サヴィニイ村はボーヌの町の北西に位置している。コート・ド・ボーヌの主な地区には1級の畑がひしめいており、コルトンを過ぎて特級の畑が再び現れるのはずうっと南、白の銘醸畑、モンラッシェだ。白の至高ワイン、モンラッシェの特級畑はバタール、シュバリエを従えている。そしてコート・ドールの特級畑はそこで終わる。

 サヴィニイ村を過ぎるといよいよボーヌの町に入る。ボーヌはコート・ドールの中心の町で、ブルゴーニュワインの中心の町でもある。ここへはブルゴーニュ中からワインが集まり、貯蔵され、やがては世界に向けて出荷されていく。

 ボーヌの町ではブルゴーニュ最大クラスのワイン業者、パトリアッシュの蔵を見物し十数種類のブルゴーニュワインを試飲した。誕生日なので、試飲したワインを飲み込み続け、おまけにブランデーまで試飲して、パトリアッシュを出る頃にはへべれけとなっていた。因みに同行の神保君はここで試飲したオスピス・ド・ボーヌのコート・ド・ボーヌ1級キュヴェものにいたく感動していた。

 この日夕食はオテル・デュー近くのレストランで食べた。本日の料理がウサギとなっていたので、試しにウサギをやってみた。七面鳥に似ていて、あっさりしていておいしかった。ワインも赤白1杯ずつやったけど、何をやったか覚えていない。それまでにかなりワインを飲んでいたのが災いした。誕生日なので、貧乏旅行の中でも今日は特別。帰りがけにピーチとマンゴのアイスクリームを食べた。これもおいしかった。

訪問ワイナリー・ワインショップ・データ

Beaune:
Patriarche Pere & Fils
5 rue de College, 21200 Beaune

7月31日

 本日はボーヌ市から南のコート・ド・ボーヌを巡る。ボーヌ市の背後に迫る斜面はもうブドウ畑になっており、その中腹には1級の畑が広がっている。この畑に登りボーヌ市を見下ろすと大変美しい。また、右側にはこぢんまりしたポマール村が姿を覗かせる。ここで朝食のサンドイッチを頬張った。時々万能収穫機に乗ったおじさんが通りかかる。ワイナリーで働く人々は気さくで、みんな私たちに微笑んだり、軽い挨拶をしてくれる。こうしてサンドイッチを頬張った方がホテルで取る朝食より何倍かおいしい。心に栄養が染み渡る様だ。

 ワイナリー巡りは普通の道を通らない。だいたいブドウ畑の斜面を上り下りする農道で、詳細地図を頼りにしながらでこぼこ道をひたすら走り続ける。まるでラリー・ツアーの様だ。本当に素晴らしいワインを出す畑は、ひっそりと静かに横たわったいるのだ。けばけばしく飾り立てられてもいない。それは逆に大切にされているからだと思う。そういう尊厳のある畑を巡るには、こちらもきちっと下調べして敬意を持って回らないとなるまい。

 ポマール村を過ぎるとヴォルネイ村に入る、ポマールの赤は力強さを持つワインだけれど、ヴォルネイはむしろ繊細で優雅さを持つ。ヴォルネイまでがコート・ド・ボーヌの赤ワインの重要産地とされている。小さな村だ。ここからムルソーはすぐそこ。

 ムルソーは町といった感じで結構大きい。それもそのはず、ムルソーはブルゴーニュで最大の白ワインの産地なのだ。ここからは白ワインが重要な産地となる。コート・ド・ニュイが赤だとしたら、コート・ド・ボーヌは白かも知れない。それではコルトンやポマールに失礼だろうけれど、白ワインの至高モンラッシェはコート・ド・ボーヌだし、赤のロマネ・コンティはコート・ド・ニュイだ。

 ムルソーから西に少しそれた所にオグセ・デュレッスの村がある。あまり知られていないけれど、白はムルソー並の品質がありコストパフォーマンスのある村。赤も作り手によってはいいものがある。同じくムルソー村の西でサン・トーバンに続く谷の南向き斜面という好条件の所にブラニイ村がある。ここも名前が知られていない。しかし、ムルソーの名前で売られることがほとんどの様だ。

 ムルソーの上質な畑は隣のピュリニイ・モンラッシェ村に続いている。そしてピュリニイ・モンラッシェに入ると、いよいよワイン好き垂涎の的モンラッシェの畑に行き着く。ピュリニイの1級畑はこのモンラッシェと隣り合っている状態なので、ここのワインは結構注目される。兄弟村のシャサーニュ・モンラッシェ村も一部モンラッシェ畑に入り込んでいるのだが、シャサーニュの多くの1級畑は小川を隔てて南にある。ここら辺が、微妙にピュリニイとシャサーニュの違いを生んでいるのだろう。

 シャサーニュを過ぎるとサントネイ村に入る。サントネイ村からコート・ド・ボーヌの南端マランジュまでは赤の産地に戻る。サントネイの赤は繊細なタイプで時にヴォルネイものに匹敵するという。マランジュはその名があまり知られていない。1級畑も持っているのだが、マランジュの名前では売り出さず、もっと名が知られているコート・ド・ボーヌの名で売られる事が多いようだ。

 マランジュまで来て、コート・ドールのワイナリー巡りは終わる。二日間をかけて、駆け足で全ての特級畑と秀逸といわれる1級畑を巡って来た。見るべき畑は100以上もあって、二日間では当然じっくり吟味も出来ないが、個々の地区の吟味はこれからの楽しみに残しておこう。

 マランジュからボーヌまで戻り、ボーヌで試飲タイムだ。それぞれの地区のワイナリーを巡り試飲するという手もあるのだが、結構時間がかかってしまう。しかしボーヌだと、ここはブルゴーニュ・ワインのデパートみたいな所だから、それこそブルゴーニュ中のワインを試飲する事が出来る。

 実はポマールで気になる醸造家がいて、そこに寄ってみたのだが、ちょうど瓶詰めの最中で忙しく相手が出来ないということだった。しかし、紹介された酒屋でそこのワインを買っているので、後が楽しみだ。

 ボーヌではマルシェ・オウ・ヴァンとカーブ・デ・コルドリエールで試飲をした。このどちらも有料だけど、色々とワインを試飲させてくれるところだ。マルシェは10ユーロで15種類の試飲が出来、コルドリエールでは7ユーロで7種類の試飲が出来る。コルドリエールの方が高いけれど、質は高かった様だ。同行の神保君はコルドリエールのアリゴテを飲んで痛く感動し、アリゴテファンになってしまった。

 ポマールで紹介された酒屋でその日に楽しむ用のワインを買った。98年もののジュヴレ・シャンベルタン・プルミエクリュ、21ユーロだった。これをかかえ、ブドウ畑の見える所まで持って行って、景色を肴にやってみた。飲み頃になっていて、繊細かつ芳醇。素晴らしいワインで、素晴らしい一日を締めくくる事が出来た。

訪問ワイナリー・ワインショップ・データ

Pommard:
Domaine du Comte Armand
Place de l'Eglise, 21630 Pommard
Les Domaines de Pommard
6 Place de l'Europe
Beaune:
Marche aux Vins
2 rue Nicolas Rolin, 21200 Beaune
Caves des Cordeliers
6 rue de l'Hotel-Dieu, 21200 Beaune
Champy(ここは寄っていないけれど、試飲が出来るいい酒商)
5 rue du Grenier a Sel
Magnum
15 rue Monge 21200 Beaune

8月1日

 まず朝一番にボーヌであの名の知れたオスピス・ド・ボーヌの醸造所を見る。それからひたすら南下し、コート・シャロネーズに向かった。まず最初に着いたのがリュリイ。リュリイに入ってすぐの所にドメーヌ・ド・ラ・フォリーがあった。ここは伝統のあるワイナリーだ。玄関の所まで行ったのだが、まだ朝でワインを口に含む気になれなかったのと、今日は色々回る予定だったのでパスしてしまった。

 ワインの道をずっと進むと次にメルキュレが現れる、ブドウ畑に囲まれた小さな村だ。さらに南下するとジヴリイに着く。ここは町といった感じ。この町から丘を上がった所にある小さな村ルッシイは大変見晴らしがいい。ここでブランチとなった。しかし、小雨が降り出し、あまり景色と食事を楽しめなかったのが残念。

 ルッシイの見晴台に行くには遊歩道を少し歩かなければならない。そこで民家の横に車を停めていたのだが、帰りがけにその民家のおばあさんが現れて、何やら話しかけてきた。フランス語なので私にはさっぱりわからない。しかし、ついて来いというので彼女の後をついて行ったら、別の家の戸を叩くではないか。びっくりしてたら、なんとスイス人が出てきた。しかも停めてある車を見たら、私と同じベルンナンバーだった。ということで、少し彼と話しをして、ワイナリー巡りに戻った。

 シャロネーズには4つの個別地名を名乗れる所があって、北からリュリイ、メルキュレ、ジヴリイ、モンタニイと続く。その他の地域にもブドウ畑は広がっている。これらの畑のものはコート・シャロネーズの名で売られるようだ。モンタニイもブドウ畑に囲まれた美しい村だった。

 ここからさらに南下し、マコン地区に入った。マコンの北部はシャロネーズに似た地域が続く。ここをざーっと走りすぎ、いよいよマコン南部に入った。マコン南部がマコン・ワイン産地の中心地だ。有名なプイイ・フュイッセを始め、プイイ・ロシュ、プイイ・ヴァンセル、サン・ヴェランなどの個別呼称を名乗れる地域が広がっている。

 しかも、このプイイ・フュイッセの風景が素晴らしい。二つの小高い山に囲まれるようにあるプイイ・フュイッセの地域を、フュイッセ村の外れから一望すると美しくてため息が出る。また、この山はアメリカ西部のキャニオンの崖みたいな形をしている。山を登るにしても、ブドウ畑を歩くにしても、どちらも素晴らしい景色が待っている。

 プイイ・フュイッセの村、ヴェルジソンにあるドメーヌ・ダニエル・エ・マルティーヌ・バローは大変優れたワイナリーらしかったので、是非訪問してみたかったのだが、なんとバカンスに出かけて不在だった。残念。そこで、プイイ・フュイッセの顔といわれるシャトー・フュイッセを訪れた。試飲させてもらったのだが、ここのプイイ・フュイッセ・レ・クロは素晴らしい。ムルソーの上物真っ青という感じだった。

 プイイ・フュイッセを過ぎて南に向かうとすぐにボジョレ地区に入る。ここはフルーティな赤ワインのメッカだ。特に新酒用として造られるボジョレ・ヌーヴォーは毎年11月にお祭り騒ぎとなる。

 ボジョレはマコンの下からリヨンの上までかなり広い地域に及ぶ。ボジョレの北半分すなわちマコン寄りの地域をオー・ボジョレ、南半分のリヨン寄りの地域をバー・ボジョレと呼ぶ。バー・ボジョレはフルーティなボジョレを生産する地域で、オー・ボジョレは少し重いタイプのボジョレを生産する。オー・ボジョレ地域の指定された村々はボジョレ・ヴィラージュを名乗る事が出来、特に10の地域では個別の名称を名乗ることが出来る。有名な格付地区だ。一般にボジョレは2〜3年のうちに飲む早飲みのワインだが、ムーラン・ナ・ヴァンやモルゴンの様な重いワインを生産する地域では、10年も保つワインを出す所がある。

 昔はボジョレの9村といわれていた格付地区は1つ追加され、キリのいい10になった。実際の格付地区と村の境界は異なるし、格付名と村名が異なったりしているので、10村とは言えない。レニエという地域が追加されたのだが、場所的にはブルーイイの延長みたいな所だ。他の地域は北からサン・タムール、ジュリエナ、シェナ、ムーラン・ナ・ヴァン、フルーリ、シルーブル、モルゴン、(レニエ)、ブルーイイ及びコート・ド・ブルーイイの順となる。

 ムーラン・ナ・ヴァン、フルーリ、モルゴンはこの格付地区のほぼ中央に位置し、力強いタイプのワインを出している。他の地区はこれを取り囲む様に広がっているのだが、この3地区に比べると若飲みのワインを出している。特にモルゴンの北西に広がるシルーブルは一番標高の高いところにあって、フルーティでフレッシュなワインとなっている。ブルーイイ地区の真ん中に小高い山があって、この斜面にある畑だけはコート・ド・ブルーイイの名称がつけられる。ブルーイイの丘という意味になるが、ここのワインはしっかりとしたボディを持っている。

 格付地区のトップ3の違いをいうならば、バランスのムーラン・ナ・ヴァン、香りのフルーリ、重さのモルゴンという感じになるだろう。香り的にはモルゴンが一番おとなしい。

 名称で面白いのがサン・タムール、訳すと「聖なる愛」、恋人に真心を示したい様な時にこのワインをさりげなく持って行くなんてロマンチックかも。ジュリエナはそういえば昔そんなディスコがあった気がする・・・。これはジュリアス・シーザーから取られた名前だそうで、ボジョレのシーザーワインだ。

 今回この地域を巡って、何故モルゴンとかが重いワインといわれるのかがわかった。日本には一般的なフルーティなタイプのボジョレしか出回っていないようだ。現地に行くと全く質の異なるワインのあることがわかる。ワインインスペクタ達は、現地でこの様な上質なワインを比較試飲する機会があるから、例えばムーラン・ナ・ヴァンには深い渋みがあるなどと書けるのだ。

 日本で試飲するムーラン・ナ・ヴァンでそんな深い渋みのあるものにお目にかかった事がない。確かにフルーティで芳醇さを兼ね備えるのだけれど、どこに深い渋み?といった感じだ。実際フランスでもスーパーで売られているようなムーラン・ナ・ヴァンに深い渋みはない。

 今回訪問したモルゴンのワイナリー、ドメーヌ・ダニエル・ブーランで、目から鱗が落ちた。これだと思った。こういうワインがあるから、例えばモルゴンが重いとか、土臭いとか、そういう表現が出来るのだ。これがガメイから造られるワインなのか?と思わせる程の酒_があって、そしてタンニンに富んでいる。まさにじっくり熟成する高貴なワインなのだ。

 特にモルゴン・ヴィエイユ・ヴィーニュは樹齢80年以上のブドウの木から収穫したものだけを使うワインで、味の深み、そして豊かなタンニンを持ち、まるでピエモンテのネッビオーロかと思わせるような重い質になっている。今まで色々なボジョレを飲んで来たのだが、全く初めての経験だったし、今まで上辺だけの知識しか持っていなかった事をいやという程思い知らされた。

 ブーラン氏は英語を話せなかったけれど、お父さん似の美しいお嬢さんが英語の通訳をしてくれた。おかげで色々なものを試飲させてもらえた。もう販売されていないけれど、モルゴン・ヴィエイユ・ヴィーニュの2000年から2005年ものまでの試飲は圧巻だった。年を重ねるに連れてワインが熟成し、複雑なブーケを紡ぎ出し、味に深みと厚みが増して行くのだ。6年経った時点でかなり円熟した味になるのだが、まだまだ伸びていく事が感じられた。このワインは10年以上熟成するだろう。

 因みに、モルゴンにはブーランさんという名字の方が沢山いる。ブーラン一族はワイン造りの一族らしく、沢山のワイナリーにブーラン某という名がつけられている。ワインに携わっているので、みんなモルゴンから離れない為に、そこら中ブーランさんになったらしい。私が対面した方も5代目ブーランさんだった。

 ジュリエナに取ったホテルに帰って、彼のモルゴンとある酒商の出しているムーラン・ナ・ヴァンを比較試飲してみたが、モルゴンの方が味わいと深みに数段優れていた。この日は大変貴重な体験が出来た素晴らしい一日だった。

訪問ワイナリー・ワインショップ・データ

Rully:
Domaine de la Folie
71150 Chagny
Pouilly-Fuisse:
Domaine Daniel et Martine Barraud
Le Bourg, 71960 Vergisson
Chateau Fuisse
71960 Fuisse
Beaujolais:
Domaine Daniel Bouland
Corcelette, 69910 Villie-Morgon

8月2日

 帰宅の日となった。この素晴らしいボジョレから、自宅のベルンに帰るのは少し寂しい。そこで朝はホテルでゆっくりとした。もっとも、昨日飲み過ぎたのでゆっくりしかできなかった。少し冷え込んだ朝だったので、肌寒かった。そして空気が澄んでいた。ジュリエナのブドウ畑が広がる美しい丘陵地帯の風景がきらきらしていた。

 同行した神保君がクリュニー修道院を見たいという事だったので、マコンからおよそ25キロ西にあるクリュニーに向かった。クリュニーはこぢんまりした美しい町だ。その町の中心に、まるでローマの古代遺跡の様な石壁の残骸がある。ここがクリュニー修道院の跡だ。教会などの一部は再建されて当時の面影を残している。

 ベネディクト派のクリュニー修道院は中世にその権勢を誇り、寺院の規模としてはローマ・カトリックの総本山、サン・ピエトロ寺院の次に大きかったそうだ。どれだけの規模かが伺える。しかし、大きくなればなるほど腐敗するもの、まるでカトリックからプロテスタントが分かれた様に、ベネディクト派からシトー派が分かれ、シトー派はコート・ドールに修道院を築いた。そして後にクリュニー修道院の豪奢な生活ぶりを批判した。

 一方シトー派は土に対する重労働に情熱を燃やし「十字架と鋤」をモットーにコート・ドールのブドウ畑を開発していった。今のコート・ドールは彼らの影響に寄るところが大きい。クリュニー修道院とブルゴーニュ・ワインにも妙な因果関係がある。

 ところがシトー派が権勢を誇る様になると、これもまた内部で腐敗が進んでいく。本来は聖ベネディクトの「清貧」「従順」「貞潔」「定住」の精神を守り続けるのが根本。この精神が忘れられ、シトー派の中でも敬虔な修道僧をトラピストと分けて呼ぶようになり、現在に至っているという。なんとも切ない人間の性だ。

 ブルゴーニュのブドウ畑が修道院によって開発されて行った歴史は、シトー派の前にもう少し遡り、6世紀頃に始まる。当時のブルゴーニュの王ゴントランがディジョンのブドウ畑をサン・ペニーヌ修道院に寄付した事が始まりらしい。このやり方が見本となって、それぞれの時代の貴族達が色々な修道院に土地の寄付を行った。北はフィクサンから南はサントネイまで、今の主要コート・ドール地区のことごとくが寄付されて行ったのだ。

 この様な歴史の中で、シトー派の最大功績はなんといってもクロ・ド・ヴジョーだろう。また、修道院とは異なるが慈善施療院のオスピス・ド・ボーヌの存在も見逃せない。オスピス・ド・ボーヌも1300ヘクタールという広大な土地を所有していた。

 これもフランス革命の試練を受け、教会の資産は国に没収され、修道院の多くが破壊された。クリュニーの修道院もこの悲劇に遭っている。没収されたブドウ畑はその土地の有力者に売り渡され、畑が細分化された。さらに、遺産相続などによって細切れ状態になって、同じクロ(畑)の中に複数の所有者が生じる事となり、今日の複雑なブルゴーニュのワイン事情を生んでいる。

 例えば、クロ・ド・ヴジョーでも色々な醸造業者がそれぞれのラベルで販売し、あるものは目を見張る品質を保持し、反対にテロワールを発揮しないものまである。また、同じワインなのに、複数の業者が違ったラベルで売ることもある。これはワインを楽しむ者にとって、少々困った状態だ。(テロワールとは元々土地の事を意味するのだけれど、ワインに関する場合、その地酒の性格みたいな意味で使われている)

 醸造業者側からしてみれば、色々な畑を細切れの様に持つわけだけど、そうすることによって、ある畑のものが良くなかった場合の補償が得られ、リスクヘッジになっているという。それでも、元詰め販売する業者には目を見張るものがあるし、酒商と呼ばれるものの中でも、良心的にいい品質を保つ業者がある。ワインを楽しむ側は、こうした情報を入手し間違いのないものを入手すれば、それは必ず驚きと喜びをもたらしてくれるだろう。

 クリュニー修道院から発してかなりワインの話題を引っ張ってしまった。引っ張りついでに自分でもまだわかっていないことについて書いてみたい。それはテロワールだ。ワインの性格は確かに土地やブドウ品種に由来する。しかし、作り手の要素も大きい。例えば黒ブドウがあれば、赤、ロゼ、白、発泡酒まで作れるし、現代醸造法によって、フレッシュなものから芳醇なものまで色々作る事が出来る。これだけの幅があって、テロワールとはなんだろうということになる。

 ボジョレでも経験したことだが、今まで日本やスイスで飲んでいた格付ボジョレは本来のテロワールから外れているようなのだ。それは経済原則や輸出事情も絡むのだろう。しかし飲む側としては、そういったものが入って来ない以上、格付ボジョレに対して別のテロワールを作り上げてしまうだろう。

 また、テロワールには伝統的要素も含まれるだろうが、現代は早飲みワインを造る傾向にあって、そもそもが昔のテロワールは既に破壊されているのではないだろうか。それを破壊というのか創造というのかも議論の生む要素だと思う。まぁ、深く考えずにうまいものをうまいと飲むのが一番なのかも知れないけれど、高い金を出してつまらないワインを掴まされるのも悔しいから、調査や勉強も必要だ。それにコストパフォーマンスの高いワインを探そうとしたらなおさらになる。やれやれだ。

 クリュニーを出発し、マコン市に戻った。このソーヌ川に佇む町は落ち着いていて美しい。マコン市に本拠を持つワイナリーもあり、この町でワインを楽しむことも可能だ。今回はほとんど通り過ぎるだけだったが、いつかこの町をゆっくり散策してみたい。

 マコンを過ぎて、高速道路に乗り一路ジュネーブに向かった。AOCの呼称を持ち、グルメのリヨン人を虜にするという鶏を産するブレス地区を横切り、ジュラ山脈を突っ切り、ジュネーブの端まで到着した。ここで高速道路と別れを告げ、ジュネーブには入らず、レマン湖のフランス側を走る事にした。

 目的はエヴィアンを見ること。この町はあの世界的ミネラルウォーター「エヴィアン」で有名だ。普段この対岸にあるローザンヌには出没するのだが、国境を越える作業が必要なエヴィアンにはなかなか行かない。そこでこの機会に訪れる事にした。

 なかなか大きな町だった。エヴィアン・レ・バンと呼ばれ、温泉の出る町で雰囲気的に高級リゾート地という感じだった。あのミネラルウォーター「エヴィアン」のわき出る泉というのがあって探してみたのだけれど、車でうろうろするだけでは見つける事が出来なかった。しかし、この辺りの湖の景色は最高だ。何しろ対岸の景色が美しい。

 対岸は南向きの斜面で明るい。また、緩やかな丘にスイスのワイン銘醸地、ラ・コート、ラ・ヴォーの地区が広がっている。ラ・ヴォーの特級畑デザレなどは本当はかなり急傾斜地なのだが、対岸から見るとわかりづらい。この景色を眺め、湖のビーチで寝そべる為に訪れるだけでも価値がある。

 いよいよスイスに戻った。国境を越えるとき、今回はフリーパスだった。きっとエヴィアン帰りだと思ったのだろう。そしてモントルーに入り、チーズで有名なグリュエールを過ぎ、世界遺産の町ベルンに戻った時には夕方になっていた。今回の旅の総走行距離は約1500キロ。結構車を走らせたものだ。