紀行文

8月4日(土)

 サン・ラファエルからイタリア国境に向かう先は、コート・ダジュールでもリゾートのメッカ。カンヌ、ニース、モナコ公国と控えている。そして海岸線から奥まったところにはブドウ畑が広がっている。しかし、この地域はニースの裏手に位置するベレ以外に特段注目されていない。コート・ド・プロヴァンスという広大なAOC地区からも外れている。

 ベレには高い評価を得ているシャトー・ド・ベレ(Chateau de Bellet)がある。ベレは白がいいとされているが、シャトー・ド・ベレは赤白とも評価を得ている。ベレ自身30ヘクタールちょっとと小さな地区なのだが、独特のブドウ品種があって面白いワインを造っている。シャトー・ド・ベレに行こうかと思ったが、どうも値段が高いらしいというのでパスしてしまった。バンドールで赤を買ってしまい、ちょっと懐が寂しい・・・。

 ということで、本日はコート・ダジュールの観光旅行。ドラモンからイタリア国境の町マントンまで、コート・ダジュールの海岸線を突っ走った。

 まずドラモンを過ぎるとすぐにアゲーの町に着く。小さな町だが、金持ちの別荘がひしめき合っている。家は豪奢では必ずプールがある。赤茶けたアメリカ西部にありそうな岩山が、そのまま地中海に落ち込んでいる。なんとも不思議な景観を持つ町だ。

 そこから少し行くと、レランス諸島が見え始め、遠くにカンヌが現れる。その海岸線沿いにはホテルやリゾート施設が建ち並んでいる。青い海、ヨット、海岸で戯れる人々。どれもが目映かった。そしてカンヌからニースに向かう。高速を使ったのでブラを通ったはずなのだが、ブドウ畑は確認出来なかった。

 ニース、これまた美しい町だった。旧市街の朝市が開かれるサレヤ広場から、マセナ広場あたりまでを散歩する。朝市は華やいだ雰囲気だった。道の端にはカフェやレストランが建ち並び、軒先を広げていた。そしてそこで人々がお茶を楽しんでいた。ちょっと混んでいるパン屋があったので、そこでサンドイッチを買った。後で、海を見ながら食べたのだが、おいしかった。ちょっと、コート・ダジュールの味?

 ニースからモナコに向かう。モナコはれっきとした独立した国家だ。しかし、その面積わずか1.95平方キロ。世界で2番目に小さい国。因みに一番小さいのはバチカン市国。フランスに3方を囲まれ、残る一方は海。フランスとの国境に何の仕切も審査もないから、いつどこでモナコに入ったかわからない。公用語もフランス語だから、確かに世界最高級のリゾート地にいるというのはわかるのだが、フランスの一部の様な感じが抜けない。

 これは、スイスの東にリヒテンシュタインという国があるのだけれど、そこと同じ感じ。国境審査もなく、通貨もスイスフラン、言葉も同じドイツ語(ただし訛りが違う)なのでリヒテンシュタインに入ってもなんとなくスイスの一部の様な感じが抜けない。

 何でもモナコ大公のご先祖が、ジェノバ人の築いた難攻不落の要塞を占拠したのがこの国の始まりだそうだ。1297年というから、今年2007年から計算すると710年前。何せこの要塞、小さな半島が船状の巨大な岩山になっている所に築かれているので当に難攻不落。ここを落としたご先祖様は天才だったに違いない。以降、この要塞を持つモナコ公国は無事独立を保ち続けている。

 この国が世界の代表的リゾート地になったのは、ここ100年のことらしい。確かに景色も素晴らしいし、気候もおだやかだ。しかし決定打はカジノを作ったことだそうだ。それ以降高級リゾート地として発展し、今や世界中のセレブが行楽に訪れるというのだから、カジノの威力はすごいものだ。

 モナコ宮殿などを見てモナコを後にする。きらびやかなカジノには寄らなかった。君子危うきに近寄らず。モナコを過ぎるとすぐにイタリア国境の町、マントン。ここはモナコとうって変わって落ち着いた雰囲気。高い建物というと、教会がひときわ目立つというのだから、浮ついた雰囲気も吹っ飛んでしまう。レモンの産地だそうで、この町最大のイベントがレモン祭りだというのだからかなり微笑ましい。ベルンのタマネギ祭りといい線を行っている。

 ここを過ぎるとイタリアである。今日はイタリアに入って、リヴィエラから別れを告げ、ピエモンテ州のバローロ地区まで行く予定。フランス、イタリア国境では警備員もおらず素通りだ。フランス国境の町、ヴェンティミーリアから国道を北上し、クーネオ県のラ・モッラ村を目指す。

 クーネオまで北上する道は国道なのだが、なかなか変わっていて、一度フランスに入り、メールアルプスの峠を越えて、また再びイタリアに入る。メールアルプスがサンレモの北辺りから始まっているので、その西に位置するヴェンティミーリアはアルプスを西側から越えるために一度フランスに入る様な形になる。

 メールアルプスは様々な名称に変わりつつ北上し、やがてスイスのヴァリスアルプスに到達する。フランスとイタリアを分ける南欧の屋根だ。この山脈は標高3000メートル級の山々を無数に連ね、やがてヨーロッパ最高峰、モンブラン(標高4810メートル)に達する。

 テンドというフランスの峠町まで登ってくると、もう雰囲気は完全にコート・ダジュールを離れる。スイスをも思わせるアルプスの町だ。この町を越え峠を過ぎると、フランスから完全にさようならだ。ところが、家並みはイタリアに入ったからと言ってそんなにフランスと違ってはいなかった。やはり、ローマの影響を受ける南ヨーロッパ地区の共通点みたいなものがあるのだろう。それに今回訪れた、ローヌ、ラングドック、プロヴァンス、コート・ダジュールは、いわばローマのお膝元だった所だ。

 ラ・モッラ村に着いた時には午後6時を回っていた。ラ・モッラ村はイタリア銘醸ワイン、バローロを産する11の村の一つで、この地域で最も標高の高い場所に位置してる。ラ・モッラからの眺望はバローロ地域随一だ。町並みも中世の面影を色濃く残している。12世紀に町の安全のため丘の上に集落が移動し、城壁が張り巡らされた。その姿が今も残っている。

 本当はもっと早く到着して、アルバ辺りも見てみたかったのだが、峠越えに思いの外時間がかかった。運良くホテルがすぐ見つかり、近くの本家バローロ村を見に行った。やはり中世の面影を残す町並みがある。バローロワインの本拠地なのだが、意外にこじんまりしている。夜はラ・モッラのワインバー「ヴィン・バー」でこの地域のワインに舌鼓を打った。

 ヴィン・バーはラ・モッラで一番古いワインバーでそこで飲む他ワインも買える。なかなか気さくなママさんがいる。おかげで赤白2種類づつ楽しみ、さらにサービスでバローロを試飲させてもらったりした。そこには古いビンテージもあって、1961年のバローロ・リゼルヴァなんてのもあった。値段は100ユーロだった。ガヤのバルバレスコの古いビンテージものもあった。今のラベルではなく古いラベルのもの。これなんか知っている人にはお宝だろう。値段もお宝並で300ユーロだった。

 そんなビンテージワインを見つけると、ついつい買ってしまいたくなってしまう。もう所持金も少なくなっているのに、酔った勢いも手伝って、買ってしまった82年のバローロ。ママさん曰く、これがびんびんに飲み頃になっているんだそうだ。82年のバローロしかも格付畑ものなんて、現地まで来なければ買えない。これをいつ開けるか、楽しみだ。このワインは既に飲み頃だから、これ以上寝かす必要はない。

Barolo, La Brunata 1982 No.1582/5000 DOCG, Francesco Rinaldi&Figli, 85EU
フランチェスコ・リナルディはバローロ村に古くからあるドメーヌ

もう一つカンティーナ・コムナーレで買ったバローロは
Barolo 1999 DOCG, Dosio Vigneti, 17EU
18世紀からラ・モッラ村にある古い畑を所有している。バローロとしては低価格。