紀行文

8月5日(日)

 今日は悲しくも帰る日。この夢のような日々も終わりを告げる。しかも夕方仕事があって、午後5時までに帰り着かなくてはいけない。といっても、ラ・モッラからベルンまでは寄り道しなければ車で5時間前後の距離。それに白トリュフの季節に一度ラ・モッラを訪れているから、多少土地勘がある。

 前回はティチーノ経由で帰ったが、今回はピエモンテ州の州都トリノに出て、ヴァッレ・ダオスタに入り、アオスタからサン・ベルナール峠を越えてスイスに戻るというコースを取る。こちらの方が早い。

 トリノはかつてイタリア統一を果たしたサヴォア家の都だった所。トリノに隣接するフランスワインの地区であるサヴォアはその昔サヴォア家の所領だった。第二次大戦で負けたイタリアからサヴォアがフランスに割譲された。

 スイスのヴォー州も昔サヴォア家の支配にあったが、ベルンが奪還してスイスの一部になった歴史がある。ジュネーブ州もサヴォアから侵略の危機に晒されたが何とか持ち堪えた。そうでなければ、ジュネーブ州も今頃はフランスの町だ。フランスのサヴォアという地名はサヴォア家の所領だった名残り。トリノは今イタリアきっての商業都市。

 ヴァッレ・ダオスタに入ると山が近づいてくる。メーアアルプスから続く山脈が南から迫る。ヴァッレ・ダオスタ辺りになると、標高4000メートル級の山が現れる。何せヴァッレ・ダオスタの北側に位置する山脈はスイスと国境を接するヴァリス・アルプスだ。マッターホルンやモンテローザが連なる。そしてフランス国境にはヨーロッパ最高峰モンブランが控えている。氷河によって谷が削られ、見事な氷河谷の景観を織りなすアオスタ谷は美しい。それはアルプスの風景。そう、スイスに似た風景なのだ。何かしら懐かしい。もうスイスに戻った様な気にもなる。

 イタリア語名モンテビアンコ(モンブラン)から流れ出る水系がドーラ川。これがアオスタの谷を貫く。山間地に入り、谷の斜面が川に近づき、徐々に険しくなってくると、道沿いからヴァッレ・ダオスタのブドウ畑が見えてくる。斜面にへばりつく様にあるブドウ畑はどことなく、スイスのヴァリスと似ている。

 ヴァッレ・ダオスタのDOCは一つしかない。名前も州名と同じくDOCヴァッレ・ダオスタ。州内のワイン地区で規定の葡萄品種を用いるものにその名前が許される。また州内の主な産地はヴァッレ・ダオスタ○○○と地名をつなげている。その地名にはモルジェ、ラ・サル、シャンバーヴ、ニュス、アルナーモンジョヴェ、トッレッテ、ドンナス、アンフェール・ダルヴィエなどがある。モルジェがDOCヴァッレ・ダオスタの中で一番標高の高いところに位置している。州都アオスタからモンブラン方面に15キロ程行った所。

 因みに、これらの地名はアオスタ語発音(フランス語の方言)による。ヴァッレ・ダオスタ州は特別自治区域になっており、公用語はイタリア語とフランス語の二つがある。

 葡萄品種はもう色々。スイスのヴァリス州では約60種ものぶどう品種が栽培されているが、数の多さはそれに近い。その中でもちょっと独特だと思われる品種は、ブラン・ドゥ・モルジュ、プティ・ルージュ、ヴィアン・ドゥ・ニュス、ネイレ、フレイザ、フェマンなど。

  古くからDOCに規定されていた、ドンナス、アンフェール・ダルヴィエ地区では、ドンナスがネッビオーロの品種ピクトゥネール、アンフェール・ダルヴィエではプティ・ルージュが主に使われる。また、アオスタ谷奥部のモルジェ、ラ・サルではブラン・ドゥ・モルジュが用いられる。これらはヴァッレ・ダオスタならでのワインだ。

 ヴァッレ・ダオスタの州都アオスタに入る。ここはローマ遺跡が沢山残る歴史の町。初代ローマ皇帝アウグストゥスがこの町を作ったそうだ。ここから先に道は二手に分かれる。一つは今や主流となっているモンブラントンネルを越え、フランスに入りモンブランのゲートシティ、シャモニーに至る道。もう一つが、古代より存在し、ローマ人が街道を施設して重要なヨーロッパの交通路となったグラン・サン・ベルナール峠。アオスタからスイスのマルティニィを結ぶ。ベルンに行くには、このグラン・サン・ベルナール峠越えが近い。といっても、現代では峠越えをせず、長さ6596メートルのサン・ベルナールトンネルがある。因みにトンネルは有料。約4000円とちょっとお高い。(モンブラントンネルはもっと高い!)

 今回はトンネルを選ばず、峠を越えた。峠の標高2496メートル。かのシーザーも、ナポレオンもこの峠を越えている。この峠の名の由来は遭難者救済の施設、オスピスを築いたベルナール・ド・マントン(聖ベルナール)の功績にちなんでいる。救助犬で有名なセントバーナード犬もこのオスピスで育てられた。セントバーナードはサン・ベルナールの英語発音だ。もともとはローマ軍の軍用犬だったそうだ。

 ナポレオンが面白い。彼は1800年に4万の軍勢を率いてこの峠を越えている。そしてオスピスで肉、チーズ、ワインなど膨大な飲み食いをした挙げ句、4万フランの借金をした。彼は自身でその借金を返済せずに死んでいる。借り逃げだ。もっとも最後は島流しにされ、それどころではなかったのかも知れない。

 50年後、彼の甥ナポレオン三世が借金を返済している。しかし、その返済に渡された金額は半分以下の1万8千5百フランだけだった。最終的に全額返済されたのは借金をしてから184年後の1984年。フランソワ・ミッテラン大統領の時だ。しかし文献から察すると、184年分の利子は支払われていない。おい、ミッテラン、それでいいのか?

 昔は盗賊もいたし、遭難者続出のベルナール峠だけあって、流石に険しい。森林限界を超え、右に左にと折れながら登っていく。途中落石箇所もあり、自然の厳しさを感じさせる。私のボロ車で越えられるのかと心配になった程だ。ようやく峠に到着すると、そこがスイス国境だ。パスポートのチェックはここでもない。今回の旅行で一度もパスポートのチェックはなかった。

 スイスである。スイスに戻ってきた。ここからは勝手知ったる土地である。といっても自分にとって外国なのだが、何だかほっとする。峠には小さな湖があってなかなか風光明媚だった。ここでお昼のお弁当にする。貧乏旅行の定番、ハムとチーズのサンドイッチ。ナポレオンの様にワインもと行きたかったが、運転があるため我慢の子であった。

 昼食後峠を下る。スイスの道はイタリア側と全然違っていた。それはそれは整備されていて、峠直後から快適そのもの。イタリア側は落石有りの当にアドベンチャー・ロードなのと大違いだった。これもお国柄の差なのだろうか。イタリアはアドベンチャー派、スイスは安全保守派。さもありなん。

 マルティニィに達すると、広大なローヌ谷が開けた。そしてその氷河谷の斜面にへばりつく、おなじみのぶどう園が目に入った。

 ヴァッレ・ダオスタとヴァリスの違いは、ヴァリスの方が葡萄作りに気合いが入っているという感じ。限界ぎりぎりまで植えられるブドウ畑の傾斜は並ではない。それだけに、ワイナリーの美しさはヴァリスの方に軍配があると感じられた。もっともヴァッレ・ダオスタはワイン作りではイタリア最小の州で、ヴァリスは反対にスイス最大の州であるからもっともな話。

 ここから先、ローヌ谷を遡るとローヌ氷河に至る。この氷河はローヌ川の源流だ。ヨーロッパの屋根、アルプスに降る雪が氷河を形作り、何万年かの後に氷河の下端で溶けて川となる。そしてワイン文化を流域のスイス・フランス各地にまき散らし、812キロの旅をしてやがて地中海に至る。壮大な旅だ。今回はこれの始から終までをこの目で見た。とても感慨深かった。こちらの走行距離は約2100キロ。日本本土を縦断する距離よりちょっと長い。

 マルティニィからはスイスの高速に乗り、モントルー、ヴヴェを過ぎる。この一帯はヴォー州のワイン地区。ヴヴェから先のラヴォー地区は2007年ユネスコの世界遺産に登録された。ワインの世界遺産になったのだ。ブドウ畑を含むワイン産地として世界遺産に登録されたのは、フランス、サンテミリオンに次いで二番目。

 車はローヌ川流域を離れ、チーズで有名なグリュイエールの丘陵地帯を過ぎ、そしてベルンへと到着した。忙しい旅だったけれど、沢山の忘れられない記憶と、お土産のワインが残った。私の場合、旅費と同じくらいの金額が現地で購入するワイン代に費やされる。なので、どうしても宿泊費や食事代が削られ貧乏旅行となってしまう。これに同行出来るのは、相当なワイン好きだけしかいない。今回の同行者神保君も良く耐えたものだ。彼も結構なワイン好き。

 それにしてもヨーロッパのブドウ畑はすごい。想像を絶する広大な地域で、毎年膨大なワインが生産されている。名の知れたワインを試飲して行くだけで、人一人の一生がかかるくらい銘柄も無数にある。もし、ヨーロッパで生産されるワインを1カ所に集めたら海が出来るんじゃないかと思う。しかし生産されていると言うことは、消費されているということでもある。ヨーロッパ人、恐るべし。

 ヨーロッパは夏時間で、この時期は午後9時半頃まで明るい。いきおい明るい時間まで色々と動き回ってしまう。そうして毎回ホテル探しを始めるのが午後8時を回っていた。この時間になると旅行案内所も閉まっていて、車でうろうろしながら自力で宿を見つけ出すしかない。田舎町ならまだしも、今回のように夏場にヴァカンス客が殺到する有名な観光地で当日空きの部屋を見つける事は極めて困難だ。よく見つけたものだと後々感心する。言葉を変えると、結構見つかるものなんだな。

 今回の旅行では古い音楽テープを持って行って車の中で聞いた。ちょうどコート・デュ・ローヌのエルミタージュ近くを走っている時、山口百恵がかかった。フランスはコート・デュ・ローヌで山口百恵だ。「ここは、横須賀〜〜」などと歌が流れる。とても妙。自分の車だから成せる技でもある。いい日旅立ちという歌が流れる。「日本のどこかで私を待ってる人がいる〜〜」私の場合は「世界のどこかで私を待ってる酒がある〜〜」だ。

 こうして旅を終えると、また次の旅をしたくなる。次回はどこへ行こうかと色々考えを巡らすのも楽しいものだ。次の候補地はロワール。フランスで一番長い川。この川沿いに広大なワイン産地が広がっている。気分はもう次の旅が始まっている。